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独自の鉄触媒反応制御技術で人にも環境にも優しい新たな化学産業の創出に挑む
重貴金属触媒採掘時の土壌汚染によるESGへの配慮の高まりから、安価で安全な鉄触媒が注目されています。ただし、鉄触媒は、高圧で大型の合成反応器を必要とするため、これまで一部用途への利用に限られていました。TSKは、中村教授の開発した鉄触媒の反応制御技術で、産業利用可能な新しい有機EL材料やバイオスティミュラント材料等の開発を進めています。当社は、TSKと京都大学の活動が、化学産業のグリーン化の一助になる事を期待します。
京都大学イノベーションキャピタル株式会社 投資担当者より
「触媒」は化学反応を促進する物質であり、医薬品、食品、肥料をはじめ、あらゆる化学品の製造に利用されている。化学反応の触媒として一般的に使用されるのはレアメタルだが、資源制約や環境負荷などのリスクを抱えている。これに対し、安全性が高く安価な鉄を触媒として利用することで課題解決を目指したのがTSK。困難とされてきた鉄触媒の反応制御技術を開発し、安定的に望みの反応性を引き出すことを可能にした。代表取締役の孫恩喆氏、取締役で京都大学化学研究所附属元素科学国際研究センター教授の中村正治氏は、鉄触媒による有機合成反応で、既存材料の高機能化や鉄触媒にしか合成できない新規材料を提供し、化学産業のグリーン化に挑戦する。(聞き手:田北みずほ 2024年5月取材。所属、役職名等は取材当時のものです)
鉄触媒合成技術で社会に新しい価値を届けたい
孫さんと中村さんは、どういうきっかけで出会ったんですか。
孫 私は韓国の大学院で有機合成の研究をしていたんですが、当時、参考にする論文は日本の研究者が書いたものが多かったです。それで、レベルが高いところで研究を続けたいと思って、京都大学に留学しました。私の指導教授の後任として、2006年1月に赴任して来たのが中村先生。3月に卒業したから、一緒だったのは3か月間だけなんですよ。でも、先生の人間的な魅力や研究の素晴らしさを感じていたので、就職してからも、たびたび訪ねるようにしていました。
中村 私が京都大学化学研究所に赴任したときですね。化学系の実験室の引っ越しってすごく大変なんです。膨大な量の化合物があるから。少人数のスタッフや学生たちと手分けして片付けたんですが、孫さんはドクター3年でものすごく忙しいのに、嫌な顔一つせず最後まで手伝ってくれたんですよ。すごい人だな、と。それが始まりで、お互いに仕事は忙しかったものの、交流が続いていました。
なぜ一緒に起業することになったんでしょうか。
孫 京大で博士号を取得した後、積水化学工業でディスプレイ用の材料開発を10年近くやりました。なかなか量産までいかなくて環境を変えようと、サムスンディスプレイに転職したんです。滋賀に家があったんですけど家族を説得して韓国に。材料を作る側から使う側になって、スマートフォンのモジュール材料のトップも務め ました。2019年に退職して、化学メーカーのコンサルティング業をしていたときに、中村先生から鉄触媒を社会実装したいと持ちかけられたんです。
その話を聞いたとき、すぐに「これは夢がある。やろう!」と思ったんですか。
孫 いえ、夢と現実は差が大きいものです(笑)。実現性がどれくらいあるのか、自分では判断できなくて、サムスンディスプレイ時代の入社同期に話してみたんです。すると「有機ELの材料に使える可能性がある」と興味を示してくれました。専門の人がそう言うならいけるだろう、と思いました。それに、材料を作る側と使う側という両方の仕事を経験している私だからこそ鉄触媒技術をビジネスにできるのではないか、やってみよう!と。
有機EL材料には、パラジウムなどのレアメタル触媒が欠かせないそうですね。鉄触媒を使うとどんなメリットがあるのでしょうか。
孫 レアメタルは生産国が限られていて、地政学リスクや枯渇リスクがあるし、採掘の際の環境汚染も問題になっています。しかも値段が高額です。これに対して鉄は地球上に豊富に存在している金属で、価格も安く製造時の温室効果ガス排出量も少ない。鉄を触媒として利用できれば、環境負荷の低減、コストダウンが図れる。メーカーにとっては、レアメタル触媒を鉄触媒に代えることでESG、SDGs対応ができる点も大きなメリットになります。
そうなんですね。中村さんはなぜ、鉄触媒の研究に着手されたんですか。
中村 学生時代に有機合成化学と出合い、今まで世の中に存在しなかったものが作れるってすごいな、面白いな!と思ったんですね。研究を続けるうちに、世の中につながるような研究をやってみたいと思い始めて、金属触媒に注目しました。化学合成によく使われるレアメタル触媒については多くの研究がなされていたのですが、不思議なことに、最も身近な金属である鉄触媒については報告例が少なかった。そこに興味をそそられて研究を始めました。
鉄触媒は合成反応の制御が難しいと言われてきたんですよね。
中村 実験を積み重ねる中でノウハウが蓄積されて、鉄触媒反応をコントロールできることがわかって、2000年くらいに鉄触媒を制御する感覚を体得できました。鉄触媒を使った化合物の実生産を目指して、民間企業との共同研究も行っていたんですが、どうしても短期的な研究になりがちです。鉄触媒を広範な息の長い科学技術として事業化するには、自分で会社を設立するしかないなと思ったんです。でも、ビジネスをするにも、何をどうしたらいいかわからない。そこで、企業での開発経験を持つ孫さんに声を掛けたんです。孫さんが中心になって応募した京都大学インキュベーションプログラムに採択されて、もう本気でやろうと。そして、2021年にTSKを設立しました。ちなみに社名は、鉄(T)・触媒(S)・化学(K)の頭文字から名付けました。
有機EL材料、バイオスティミュラントの実用化を推進中
今、最も事業化に近づいているのはどの分野ですか。
孫 スマートフォン、パソコン、テレビなどのモニターのパネルに使われる有機EL材料です。ほかの材料と組み合わせた上での評価が必要なので、大手ディスプレイメーカーと共同開発を行っています。1年半ほどかけて、発光効率や色純度を高める工夫を重ねて、レベルアップを図ってきました。2026年モデルの製品への採択を目指して進めています。
中村 有機電子材料の合成に使用されるレアメタル触媒を鉄触媒へと置き換えることも可能ですし、鉄触媒を使って今まで達成できなかった新しい性能を持つ材料の創出にも成功しています。採択されれば、インパクトは大きいと思います。
もう一つ力を入れている領域は、農業で使うバイオスティミュラントだそうですね。
孫 はい。バイオスティミュラントというのは、植物が本来持っている力を引き出すことで収量や品質を向上させたり、収穫後の貯蔵性を高めたりする効果がある農業資材のことです。栄養素が入っている肥料とは別で、植物の成長を助ける化合物が入っています。世界の人口増加による食糧問題への対応や農業の効率化を高める観点から、世界的に注目されている分野です。
中村 海藻や微生物を使ったものなど、バイオスティミュラントにはいろんな種類があるんです。当社が開発しているのは腐植物質です。落ち葉や倒木はしだいに腐って、長い年月をかけて腐植物質に変わる。これが、植物が栄養分や鉄分などを取り込むのに役立つことがわかってきたんです。腐植物質の中でアルカリや水に溶けるものを腐植酸といって、褐炭とか泥炭からも取ることはできるんですが、地面を掘り繰り返すなど、手間や労力がかかり過ぎますよね。そこで、製材時に廃棄される木の樹皮を鉄触媒で化学変化させて腐植酸にする方法を考えついたんです。樹皮を提供する林業会社、樹皮を粉砕する加工会社、腐植酸を作る製造会社など、さまざまな企業の協力があって、当社オリジナルの「鉄フルボさん」ができました。
孫 商品化するには、実際の農場での評価と大量生産できる工場が必要なんですけど、なかなか目処が立たなかったんです。ところが、あるきっかけで知り合った韓国の大規模農家さんが「孫さんがやってる仕事ならサポートするよ」って野菜の栽培試験に協力してくれることになって。製造のほうも、2年前からお願いしていた会社から「準備が整いました」と連絡があった。商品化の見通しが全然立っていない時期に、2025年4月には販売する、って僕が勝手に決めてたんですが、ゴールを決めたら急展開で物事が進んでいって自分でも驚いています。
人にも環境にも優しい“森林化学産業”の創出を目指す
鉄触媒はいろいろな分野で活用できそうですね。今後、どのような事業展開を考えていますか。
孫 医薬品ですね。ハードルは高いと思いますが、レアメタルの価格が高騰していることもあって、製薬会社が鉄触媒技術に興味を示すようになってきました。大いにチャンスはあると思っています。
中村 廃棄樹皮を使う「鉄フルボさん」のように、森林資源を活用した化学産業を構築できないかと考えています。木から取れるセルロースを原料に、プラスチックや燃料などさまざまな化学製品を作るようにしたら、林業や森林・里山再生にもつながります。石油化学産業に代わる新たな化学産業として“森林化学産業”を創出したい。いろいろなことにチャレンジしたいので、資金に余裕ができたら山林を買いたいんですよ!
孫 京都iCAPがOKしてくれたらね(笑)。
中村 すべての人に優しい、環境にも優しい世界になったら、みんなが安心安全に過ごせるんじゃないかと思うんですね。そういう世界になっていくためにTSKの技術が“触媒”になっていけたらいいなと思います。
今現在の実感として、起業してよかったなと思うのはどんな点でしょうか。
孫 経営者としての責任は重いですが、自分の意志でやりたいことをスピーディーに進めていける面白さを実感しています。出張するときも、いちいち計画書や報告書を書かなくてもいいですし(笑)。長年積み重ねてきた日本の化学技術はレベルが高く、新しいものを生み出すパワーがあると僕は考えています。京都大学発のベンチャーとして新しいものを作って世界に発信したいです。
中村 韓国の農家の方や京都の林業や製材業の方たちと話をしていると、次はこんなことやりたいな、こういうこともできそうだな、とすごく盛り上がるんですよ。まったく違う業種なのに、興奮の輪が広がっていくというか、これが面白くて。研究だけしていたら、林業の人と接する機会はなかったと思うんです。起業したおかげで社会との接点が広がったし、深くなったと思います。これは本当にありがたいことです。
最後に、起業を目指す人へのメッセージをお願いします。
孫 僕は人と同じようなことはしたくないと思ってきました。日本で学んで会社を作ったのもそういう気持ちからです。今までの自分の経験とこれから何をやりたいかを考えて、思い切って挑戦してほしいですね。そして、起業は一人ではできないものなので、信頼できるパートナーの存在が重要だと思います。もし起業したい方がいれば、個人的に相談に乗りますよ。
中村 未来に向けていろいろな可能性がある中で、自分が本当にやりたいと思うことを見つけて、それが起業であるなら、ためらうことなくやってみる。すぐには成功しないかもしれないけど、ずっとやり続けていれば、その経験が蓄えられて形になりますから、チャレンジしたほうがいいと思います!
この記事は、京都iCAPのウェブサイトに掲載されたものです