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興味をもつ人が少ないから、ナメクジは今もわからないことだらけ

宇高さんは、日本でも数少ないナメクジの研究者として知られ、ナメクジの生活史の解明を中心に、さまざまな研究をされています。

そもそもナメクジは、研究している人自体が少なく、今もまだわからないことだらけの生物なのだそう。そう聞くと、どうしてナメクジの研究を始めたのかが気になってしまうのですが、宇高さんはきっぱりとこう言い切ります。
「ナメクジのことは、特に好きというわけではありませんでした」
きっかけは学生時代、本当にたまたま研究テーマにナメクジを選んだから。いわば、偶然です。でもそこから、興味をもつ人が少ない分野ならではの研究の面白さや苦労を感じつつ、ナメクジの研究を続けてこられました。
研究者がいかにして研究者になり、研究者であり続けるのか。地味で地道で、果てしないプロセスの中で未知の世界と向き合い続けるその視線の先を探っていきたいと思います。

ライター
平川 友紀

インタビュアー
西村 勇哉

編集者
増村 江利子


宇高 寛子

京都大学宇高寛子(うだか・ひろこ)動物生理学者/京都大学大学院理学研究科 生物科学専攻動物学教室 環境応答遺伝子科学分科 助教 大阪市立大学大学院理学研究科後期博士課程修了、博士(理学)。大阪市立大学大学院理学研究科特任講師、ウェスタンオンタリオ大学(カナダ)博士研究員などを経て、2014年より現職。無脊椎動物(主にナメクジや昆虫)の季節適応機構を、個体レベルから分子レベルで研究。主な研究課題は、ナメクジの生活史の解明、新規移入種マダラコウラナメクジの日本における分布可能域の推定、チャコウラナメクジにおける低温耐性の生理・分子基盤の解明など。著書に『ナメクジ――おもしろ生態とかしこい防ぎ方』(田中寛との共著/農山漁村文化協会)など。研究者の詳細情報を見る

自分で何かを生み出せる学問のほうが面白い、と経済学部から生物学部へ編入

事前に、宇高先生の過去のインタビュー記事をいくつか読ませていただいたんですが、宇高先生は特に「ナメクジが好き!」みたいな人生を歩んできたわけではなく、いくつかの選択肢の中から、たまたまナメクジを研究するという選択をされたとお話していました。とはいえその後、長年ナメクジと付き合われているわけで、ナメクジに出会い、研究者としてずっとやっていこうと思われた理由はなんだったのでしょうか。

今おっしゃられたとおり、私は最初からナメクジを研究したいと思っていたわけではありませんでした。

高校生ぐらいまでは、動物が好きだったので獣医になりかったんですね。田舎で暮らしていたこともあり、30年ぐらい前は、動物に関係する職業といったら獣医しか思いつきませんでした。でも結局、獣医は難しくて諦めて、全然関係のない経済学部に行くことにしました。

でも経済学っていうのは、すでにある誰かがつくった論理や理論を学ぶ学問です。つまり、新しいものを発見することはほとんどない分野で、私みたいなペーペーが何かを生み出せるようなものでは到底なかったんです。だから、ずっと勉強しているうちに「自分で何かを生み出せる学問のほうが面白いだろうな」と思い始めました。

そしてちょうどその頃に、学部の編入制度ができたんですね。調べてみたら、経済学部からでも生物学部に編入できるようでした。それだったら、もともと好きだった動物の勉強や研究がやりたいなと思い、生物学部に編入を決めました。でも、編入した当初は特に研究者になりたいとまでは思っていなかった気がします。

ナメクジを選んだのは、研究室の教授にたまたま提案されたから

西村勇哉:いろいろな研究テーマが考えられたと思いますが、なぜナメクジを選ばれたんですか?

宇高:じつは私がいた研究室は、昆虫がメインの研究室でした。大阪市大では、大学3年の年度末に研究室に配属されるんですが、人気が集中する研究室があると、そこからあぶれる人が出てきます。あぶれた人は空いているところに行くんですけど、私の4つ上の先輩で、行きたかった研究室に入れなくてその研究室にきた方がいたそうなんです。ところがその方は、昆虫が苦手だったらしいんですね。

その時に指導教授が「ナメクジはどうですか」と。それで「ナメクジなら大丈夫です」ということで、卒業までの1年間、ナメクジを研究することになったそうです。その方がしっかり研究してくれていたので、ナメクジは結構面白いかもしれないということはわかっていました。でもその後数年は、ナメクジをやりたいという人は現れなかったそうなんです。
で、私たちの代の時に、先生が「こういうテーマもあります」という感じで、ナメクジも研究テーマの候補に入れていました。それで「ナメクジは飼うのが簡単だよ」と言われたんですよね。それじゃあ、やろうかなと(笑)。そんな感じで、私は本当にたまたま、卒論でナメクジを研究テーマに選んだんです。

西村勇哉:そこにナメクジが入っていたおかげで。

宇高:もし入ってなかったら、ナメクジを研究するという発想は自分の中にはまったくなかったと思います。それなのに、なんで今までナメクジの研究を続けているかというと、やっていてナメクジに不満があったわけでもないですし、「特に変える理由もなかったから」というだけなんですよね。

どういう種類の大変さなら、自分が許容できるか

西村勇哉:僕も修士課程まではいったので、学部だけだと物足りなくて修士までいきたくなる気持ちはすごくわかるんです。でも博士(ドクター)課程にいこうって思うと、そこには将来を見据えた選択があるように思います。博士までいこうと思われた背景があったのでしょうか?

宇高:おっしゃるとおり、修士までいってようやく、どうやったら研究できるのかがわかるようになったところがありました。それに、研究自体もかなり順調で、自分がやりたいと思ったことがちゃんとできていました。だからもう少し、このままナメクジの研究を続けたいという思いがありました。それと、私が修士を終えるぐらいのタイミングって、ちょうど就職氷河期って呼ばれていた時代だったんですよね。だから「就職するのは難しいかも」と思ったこともありました。

当時はナメクジをいっぱい飼っていて、世話が大変すぎて就職活動に割いてる時間はない、というのもあったし、大学がやっている就職セミナーに行ってみたんですけど、就職活動自体が合わないなとも思いました。じゃあ、今は就職が厳しいみたいだし、ナメクジの世話もしないといけないから、とりあえず博士課程に進もうかなと。なので博士課程に進んだのは、かなり消極的な理由でした。

西村勇哉:宇高先生のそのトーンが面白いですね。「就職合わないかも」とか「教授に飼うのが楽だって言われたから」とか。でも実際は、ナメクジを飼うのだってすごく大変だったんですよね。

宇高:結局、大変じゃないものなんて世の中にはなかったということです。ただ、どういう種類の大変さなら、自分が許容できるかですよね。

謎多きナメクジの生活史を解明する

宇高先生が長年、研究している外来種のチャコウラナメクジ

西村勇哉:そこから博士で終えずにさらに次にという形で歩まれてきているんですけど、ナメクジというテーマへの切り口は、博士の頃からたくさんあったのでしょうか?

宇高:それは所属していた研究室全体のテーマにも関係しています。その研究室の大きなテーマは、昆虫などの無脊椎動物が春夏秋冬で変化する環境の中でどうやって生きているのかを調べる「季節適応」でした。そういう研究室にいたので、勉強することや思考がどうしてもそっち寄りになる。だから自然と、季節適応を踏まえた範囲での、自分の疑問の広がりが研究テーマになっていきました。

西村勇哉:正直、ナメクジという領域の中にどういう広がりがあるのか、僕はあまりわかっていません。具体的にどういう研究をされているのかを伺ってもよろしいですか?

宇高:「生活史」あるいは「生活環」と言ったりもしますが、ナメクジがいつ生まれて、いつ繁殖し、いつ死んでいくのかというライフサイクルを調べています。たとえば、性成熟(動物が生殖可能な状態になること)を始めたり、性成熟をしないでおくための仕組みがどうなっているのかを、飼育実験で調べるんです。

私は主に外来種のナメクジを研究していますが、扱ってきた種は、性成熟をするかどうか、そのタイミングを決めるのに日の長さ(日長)が関係しているということがわかりました。日の長さに反応する性質を「光周性」といいます。

西村勇哉:ナメクジって、日の光に反応しているんですか?

宇高:日の光というよりその時間の長さですね。何時間ぐらい明るいか、あるいは何時間ぐらい暗いか、その長さに対して反応しています。でも、光周性を示さない種もいるので、ナメクジなら必ずこうだというわけではありません。     

西村勇哉:光周性を示さないナメクジは、何に反応しているんですか?

宇高:たぶん温度ですね。

西村勇哉:光周性をもつかどうかは、どこの地域に生息しているかが重要なんでしょうか?

宇高:そうですね。生息地の気候は重要な要因です。たとえば昆虫の場合は、ほとんどの種が熱帯起源で、どんどん北へと進出していきました。生活史のパターンを気候に合わせられないと、自分もしくはその次の世代は冬に死んでしまいます。それを防ぐのに光周性は重要な役割を果たすんですね。だから、南方にしかいない種は(冬に備える必要がないので)光周反応をもたず、温帯にいる種は光周期を利用することになります。しかし、これはすべての昆虫や、ナメクジで同じというわけではありません。どこで冬を越すか、どういう繁殖戦略をもっているかにもよります。

近年では、新規移入種であるマダラコウラナメクジの研究も進めている

西村勇哉:つまり日本に入ってきて日の浅い外来種のナメクジは、同じ地域に住んでいても、在来種のナメクジと違う光周性を示すこともあるということですか?

宇高:どこから入ってくるかによっては充分にありえることです。でもそれは種の違いではなく、もともといた地域が違うことで起きると考えられます。それに、あまりにも違う環境から移動させられた場合はさすがに生きられないと思います。

西村勇哉:沖縄のナメクジを北海道に連れていってもダメだということですね。

宇高:そうですね。ただ、博士のときに、チャコウラナメクジで札幌の個体と大阪の個体を比べたんですけど、性成熟に関わる光周性には大きな違いはなかったんですよね。あまりにもなくて「どうしよう」という話になったぐらい。しかも、光周性に違いはないけど生活史は違っていたので「それってどうなの」という。それについては、じつは今も解決できていません。

つまりナメクジの場合は、光周性が生活史の重要な要因ではあるけれども、一方でそれがなくても大丈夫みたいなところもある。だから、早いスピードでいろいろな気候に分布していけるんじゃないかと思います。

ナメクジは性質が「ゆるい」から、対応できる気候の範囲も広い

西村勇哉:ナメクジは、もっているニッチが大きい?

宇高:ちょっと性質が「ゆるい」というか。「日和見的」といったりもするんですけど、そのぐらいフワッとした性質だから、対応できる気候の範囲が広いのかもしれません。

あとは、寒さに強いですね。私の研究しているチャコウラナメクジは、北海道から沖縄まで定着しています。でも同じころに移入したアメリカシロヒトリという蛾の仲間は、2000年ごろに北海道の一部で定着できているようです。チャコウラナメクジは、人間の移動に伴って適当に分散し、ある時、ポンと入る。ゆるい性質とそういう移動の仕方が相まって、はやく幅広い気候に分布することができているのかなと思います。

ただ、どんな種類のナメクジでもいけるのかというとそうではないです。強い種だから外来種として定着できているということでもあって、本当に自然が豊かなところなど、限られた環境でないと生きられないナメクジもいます。

西村勇哉:なるほど。殻ごと海底に潜れるのが貝類の生き残りやすさだと仮定した時に、ナメクジは貝類だけど地上にいて、すごく弱い感じに見えるんです。それなのに、なんでナメクジは地上でやっていけているんですか?殻もなくしちゃったし、見るからに柔らかそうじゃないですか。

宇高:カタツムリ触ったことありますか?カタツムリの殻ってそこまで硬くないんですよね。鳥に食べられるとバキッと割れる。殻で防御できる部分もありますけど、防御できない攻撃もいっぱいあるわけです。だから、殻をもっていることがすべてにおいて良いかというと、そういうわけでもありません。

西村勇哉:むしろ邪魔だ、みたいな。

宇高:あの殻をつくるコストってすごく大きいんですよ。コストをかけてつくったのに割れやすくて、割れた部分が大きければ内臓が剥き出しになって死んでしまうこともあります。乾燥から身を守るという意味では、確かに役には立ってるんですけど、殻がないナメクジも乾燥から身を守ることはできます。そう考えると、必ずしもナメクジが弱いというわけではないと思います。

西村勇哉:何を強いとするかはわからないですよね。ナメクジは柔らかいし、踏まれたらプチッといきそうなんだけど、実際のところ、かなり繁栄している。でも弱い感じがしてしまうのは「むき出し感」なのかなと思ったんですけど。

宇高:そもそも本当に弱ければ生き残っていませんね。

害もないし食べにくいし見つけにくいから襲われない

平川友紀:ナメクジには、天敵はいるんですか?

宇高:いちばんの敵は人間じゃないですかね。あと、コウガイビルの一部はナメクジを食べます。でもコウガイビル自体がそんなにたくさんいないですからね。場合によっては鳥も食べますけど、ナメクジは、昼間は石の下とか落ち葉の下にいるので、それを探してまで食べるのかというとちょっとわからないですね。

平川友紀:私は山の中に住んでいるんですけど、お風呂場によくナメクジが出るんですね。でもナメクジは手では取りづらいし、しばらくしたらいなくなるし、いてもそこまで害がないのでそのまま放置しているんです。そういう感じで、あまり害がないから敵も少ないのかなと、お話を聞きながら考えていたんですけど。

宇高:そもそも在来のナメクジは、そこまで数が多くありません。だから、食べるほうも何かのついでにナメクジも食べるっていうぐらいで、ナメクジだけを食べる生き物っていうのがそもそも成り立ちにくいのかなと思います。だいたい食べにくそうだし、もっと食べやすいものがありそうです。

平川友紀:食べにくそう(笑)。なるほど。ある意味で、そこがナメクジの強さなんですね。

宇高:それに、そんなに激しく動くわけでもないし、食べようと思っても見つけにくそうですよね。

西村勇哉:面白いですね。積極的に防御しようっていうわけじゃなく、害もないし食べにくいし、見つけにくいから襲われない。なんとなく食べられないから、繁栄して続いてきた。

宇高:ナメクジに限らず、積極的に食べられる相手がいない生き物はいっぱいいます。ナメクジもそういうもののひとつかなと思います。あとは、夏に乾燥を防げる場所さえちゃんと確保できれば、そんなに簡単に死なないので。

西村勇哉:乾燥ってどのぐらいまで耐えられるんですか?

宇高:どのぐらい動くかにもよるんですが、本当に何もない机の上に置いたら、半日もすれば死んでしまいますね。ときどき「この子帰れなかったのかな」みたいな感じで、干からびて壁に張りついたままのナメクジがいますね。

西村勇哉:それは粘液を出しきっちゃうからということですか?

宇高:外の環境が乾燥していればそこで奪われる水もありますし、粘液はほぼ水でできているので、粘液を出しながら動くと、当然、水をどんどん使います。匍匐(ほふく)状態っていって、体を縮めて動かずに耐えることもあるんですけど、それはタイミングにもよりますね。

雨上がりに壁を上がるのは溺れないため。でもしばらくすれば戻っていく

西村勇哉:もう一つだけ、ナメクジの習性について伺いたいんですけど。ナメクジは、基本的に暗くて湿気のあるところに向かって進んでいくんですか?

宇高:絶対そうかと言われると、そうでもないですね。エサがあればエサのほうに行くこともあるでしょうし。雨上がりにナメクジが壁を上がっていくのを見たことありませんか?あれも上がったところで、別にそこに日陰があるわけではないんですよね。ただ、雨上がりだと下が濡れているので、とりあえず上とかに移動しているようです。

西村勇哉:今サラッと「下が濡れているから」って言ったんですけど、それってどういう意味ですか? 

宇高:ナメクジは肺呼吸なので、あまりにも濡れていると溺れるんです。

西村勇哉:つまり、溺れないように脱出するっていうことですか。

宇高:そうだと思います。ほかにも理由はあると思います。まぁでも、上に行ったところでその先に確実に良い隠れ場所があるとは限らないので、ある程度行ったら、また戻ってきているようですよ。

西村勇哉:面白いな。脱出はわかるけど、そこはそこでなんか居心地が悪くて戻っていくんだ(笑)。

宇高:果てしなく上にいくことはないですね。ほどよく湿度が保たれていることは重要で、そこに辿り着けないことは死を意味するわけですから。だから、時間が経つと下に戻っていくナメクジはよく見ますよ。

西村勇哉:へえ。ナメクジをそこまでちゃんと見たことがなかったから、いろいろ面白いです。

分類学上の混乱が、ナメクジを研究する障壁になっている

宇高:私が今やっているのは、昆虫ではすでに何十年も前から行われている生活史の研究の、いわばナメクジ版です。ほぼ同じセオリーで、それがナメクジの場合はどうなっているのかを調べている。その結果、昆虫とはだいぶ違うということはわかってきていますが、論文にするときにはちょっと悩ましい部分があったりします。たとえば、ナメクジでの先行研究が少ないので、引用論文がほぼ昆虫になることも。昆虫研究の焼き直しみたいな論文になってしまい良くないな、と思うことがしばしばあります。

また、すぐに種名がわからないところも、ナメクジ研究の難しさのひとつです。ナメクジを研究しようといったときには、まず「これって何ナメクジ?」っていうところから始めないといけないからです。

よく参考にされている昔の図鑑を見ると、今ではかなり学名が変わっていたり、違うんじゃないか?という記述があります。しかし、日本語でナメクジの情報を得ようと思うと、古い図鑑が頼りだった期間が長く、そのため論文中の学名や和名が混乱していることがあります。ただ、数年前に新しい図鑑が出版されたので、この問題はだんだん解消されていくだろうとは思います。

昔の論文を読んでいると「この種だったら、こんなに大きくならないから違う種で実験しているんじゃないか」と思う論文に出会います。でも、その論文に書かれていたナメクジを知る方法はもうありません。種の分類がわかりにくいことが、ナメクジを研究する障壁になっているところはあると思います。

平川友紀:なんでそんなにわかりにくいんですか?

宇高:ひとつは、ナメクジの種分類を研究している人が少ないからです。興味をもっている人が少ない分野は、どうしても深く研究ができる範囲が限られます。ナメクジに限らず、種の分類手法は主に外からの見た目、解剖してわかる内部器官の形態、そしてDNA情報を含めた解析へと発展しています。多くの研究者が時間をかけ、さまざなま方法やサンプルで検討していく中で、学名や種よりも大きな分類群の再編成などがされていき、その生き物の成り立ちや現在の位置づけへの理解が進んでいくわけです。

分類学は、生き物を研究する一番の基礎となる学問だと思います。A種で実験してこんな結果が出ました、と考えていたのに、じつはB種が混ざっていたとなれば、わかった実験結果は実験条件なのか種による違いを示しているのか、わからないことになります。ですから、ナメクジのように種名がはっきりしない生き物で実験することは避けたい、と思う研究者は少なくないでしょう。

自分自身も含めて、将来もっとナメクジの分類に力を入れる研究者が増えるといいなぁ、と思っています。

昆虫と同じように広く繁栄しているけれど、そのやり方は全然違っている

2018年には学術系クラウドファンディングサイト「academist」で、市民科学プロジェクト「ナメクジ捜査網」のWebサイトを刷新し、より多くのナメクジ目撃情報を集約することを目指して、クラウドファンディングにチャレンジ。見事、目標金額を達成した

西村勇哉:宇高先生のメインの研究はナメクジの生活史で、その研究のためにはできれば分類学もちゃんとしてほしい。でもその部分の研究は、これまであまりされてこなかったということですよね。

宇高:している人もいますがなかなか難しいようです。自分でも分類をやってみようとしたことがあるんですが「これは確かにやめるな」と思いました。本当に「よくわからない」っていう感じなんですよね。だから「とりあえず置いておこう」となるのは、わからないことではないなと思っています。

ただ、研究者が少ないのは悪いことばかりでもなくて、メジャーだと「似たような研究の論文が先に出ていた」みたいなことがよくあるんですけど、ナメクジではそういうことはほぼないですね。まったくないわけじゃないんですけど、比較的、全体は把握しやすいというか。

西村勇哉:それは、ある意味で楽しいですね。「ここ面白いかも」って研究しようと思ったら、まだ誰もやっていない可能性が高いってことですよね。

ナメクジの研究には、ほかにどういうものがあるんだろうと思って調べてみたら、粘液を使った接着剤の開発や記憶の研究などがありました。じゃあ、宇高先生がやっているナメクジの生活史っていうのは、いったいなんだろうって思っていたんですけど、今聞いていると、そもそもナメクジがどういう生き物なのか、あまりにも何もわかっていないんだなと。ようやくちょっとわかる方法が出てきてデータが集まってきているぐらいの段階ですよね。今までやっていなかったっていうのと、あんまりできていなかったっていうことが同時にあるのかなと思いました。

宇高:昆虫などの小さな変温動物は、地理的、季節的にどうやって適応していくかということが、すでによく調べられています。だから「きっとこういうことなんだろう」という大枠がわかっているんですね。でもナメクジは、それとは全然違う分布の仕方をしているんです。

ナメクジは貝類ですが、全体でいえば貝類は昆虫の次に種類が多く、地球の中で繁栄している種群ではあります。でも、昆虫と同じように地上の表面に住んでいても、全然違う戦略をとって生きているということが、生活史の研究をしていると見えてくるんです。昆虫と同じように地球上で広く繁栄している生き物だけど、そのやり方は全然違っている。しかもそれが研究を通じてわかるかもしれないというのが生活史の研究の面白いところかなと。外来種が広がっていくセオリーも、きっと昆虫とは違うのだと予想しています。

受動的にテーマを選んだのが始まりの研究者は意外と多い

西村勇哉:今後「こういう異分野と一緒に研究してみたいな」とか「こういうところと一緒に研究できるともっとナメクジのことがわかるんだけどな」みたいなことってありますか?

宇高:難しいですね。すぐには思いつかないです。私はあんまりそういうふうに広げて考えないんですよね。たとえば、バイオミメティクス(生物模倣)の研究者から、粘液がじんわり出る物質を改良する研究のためにナメクジがほしいと言われたことはありましたね。でも私自身は、そういうすぐに生活に役立つテーマを考えることは少ないです。

ちょっと話が逸れるかもしれませんが「これがあったらいいな」と思うのは、ナメクジの粘液をサッと溶かせる何かですね。

西村勇哉:それは、粘液を取り除いて見てみたいっていうことですか?

宇高:いや、単に、飼育中の洗い物が楽になるからです(笑)。あとは、家にナメクジが入ってくるっていう人は結構いらっしゃって、そういう方たちからよく聞かれるのが、壁についた粘液はどうやったら取れるのかという悩みです。だから、気軽に「これでナメクジの粘液が取れます」みたいなのがあったらいいよねっていう、それはちょっと思いますね。 

平川友紀:確かに、お風呂にいたナメクジを手で取ろうとしたことがあるんですけど、全然取れなかったです。

宇高:ムニュってなるでしょ? ちなみに、私はナメクジを手では絶対触らないです。研究者だからよく触ってるんだろうって思われがちなんですけど、ヌメヌメしていて気持ち悪いので。

平川友紀:え!じゃあ研究中、必要なときはどうやってナメクジを取るんですか?

宇高:採集のときはプラスチックのスプーン的なものですくいます。割り箸で掴む人もいますが、圧力がかかると粘液が出て滑るので、私はあんまりオススメしません。あとはムダに粘液を出させると、ナメクジにもコストがかかるじゃないですか。それはかわいそうだし、あんまりよくないかなって。

西村勇哉:宇高先生、面白過ぎですね。長年、研究してるのに手では絶対に触らないっていう(笑)。

宇高:そうですか?そういう付き合いの仕方じゃないんですよ。

西村勇哉:絶対に「ナメクジがお好きなんですよね?」って聞かれることが多いだろうなと思うんですけど。

宇高:多いですね。だから、あえて「好きじゃない」っていうことを強調したこともありました。「少しは好きだったんですか?」「いやいや、少しも好きじゃありませんでした」っていう感じです。

西村勇哉:その記事、たぶん読んだんですけど「ナメクジが好きなんですよねって言われたくないです」っていうオーラが溢れ出てました。それが面白かったです。

宇高:生き物っていうわかりやすいアイコンがある研究者は、どうしてもそれ自体に興味があると思われがちです。子どもの頃から生き物が好きで、これひと筋でやってきました、みたいなストーリーがあると思われているんですよね。でも受動的にテーマを選んだのが始まりの研究者は意外と多いと思います。

物心つく前から細胞分裂やDNAに興味があったというより、高校や大学で勉強していくうちに興味をもった人のほうが多いと思います。すごい速さで研究が進んでいる分野もあるので、今、研究している現象や分野はその人が子どもの頃にはわかっていなかった、あるいは、なかったということもありえます。

西村勇哉:確かにそうですね。前に京大にいらっしゃった、ホヤの研究をされている佐藤矩行先生は、たまたまデータがいっぱいあったからホヤにしたっていう理由でした。サンゴの研究をされている渡邊剛先生もたまたま地質学のコースに入れられてしまったけど、生物のことをやりたいから地質学で何か生物を探したらサンゴだったと言っていました。

宇高:大人になって就いた職業が、子どもの頃目指していたものと違う人が圧倒的に多いですよね。でも違うからといって、今の職業が嫌いだとか興味がないとか、そういうことでもないと思います。

この記事は、株式会社エッセンスの協力を得て製作しています。
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「ナメクジの生活史っていったい何?」「何の役に立つの?」。正直なところ、最初はそんなことを考えていました。でも宇高先生が「ナメクジのことは別に好きじゃなかった」と淡々と話す一方で、ナメクジについて質問するとなんでもすぐに返ってくる様子を見ているうちに、そういうことではないのではないかと気づきました。
始まりも動機も関係なく、目の前のわからなさを地道に解明していく。新しい事実を発見するために、ただ黙々と探究し続ける。研究とは、シンプルにそういうことなのだなと思ったのです。そしてもし、その研究が役に立つことがあったとしても、それはただの「その後」にすぎないのだなと。
今では、お風呂場や流しでナメクジを見るたびに、これは何ナメクジだろうと調べ、宇高先生に教わったとおりプラスチックのスプーンではがしてみたり、壁についた粘液のぬるぬる具合を確かめたりする日々です。正直私も、自分がこんなにナメクジに興味をもつ日がやってくるとは思いもしませんでした(笑)。見ているようで見ていなかった、知っているようで知らなかった世界が、宇高先生との出会いによって芽生えた好奇心とともに、私の目の前にも広がっています。

平川友紀

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