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グリーンケミストリーに基づいた材料がちゃんと使われる社会をつくる

グリーンケミストリーは「環境にやさしい化学」とも言われ「化学物質を合成する人たちが、環境に配慮してものをつくるためにはどうすればいいかを考える」という、極めて現実的な化学の概念です。

グリーンケミストリーの黎明期から、研究者として第一線に立ち続けてきた齋藤敬さんは、2021年、13年もの間研究室を構えていたオーストラリアのモナッシュ大学から、京都大学の総合生存学館に移ってきました。総合生存学館には、グリーンケミストリーを研究し続けた先に見えてきた、ある課題を解決できる仕組みがあると感じたという齋藤さんに、その真意と狙いを伺いました。

ライター
平川 友紀

インタビュアー
西村 勇哉

編集者
増村 江利子


齋藤 敬

京都大学大学院・総合生存学館(思修館)教授(工学博士)。創始者の下で学び、それを国際的に発展させてきたグリーンケミストリー専門家。2004年、水を溶媒としたエンジニアリングプラスチックのグリーンケミストリーに基づく製造法の研究で、早稲田大学理工学研究科から博士を授与。その後、アメリカに渡り、2005年から2007年までマサチューセッツ大学のグリーンケミストリー研究所で、グリーンケミストリーの創始者、ジョン・ワーナー教授のもと、研究に従事。2007年、Principal Investigator、研究室の主宰者としてオーストラリアのモナッシュ大学に赴任する。2020年9月までtenured Associate Professor として、モナッシュ大学でのグリーンケミストリー、環境適用型ポリマー、プラスチック研究を牽引。2015年10月から2019年3月までJSTさきがけ研究員(兼任)に従事。2020 年10月より現職。英国王立化学会フェロー。Secretary of the Asian-Oceania Green & Sustainable Chemistry Network (2009-)

ものをつくるような化学がやりたかった

大学時代に行ったネパール

西村勇哉 そもそも早稲田大学に入られたあと、なぜ「グリーンケミストリー」という新しい分野の研究に入っていかれたのか。そこから伺っていきたいと思います。

齋藤敬 私は小学生のときから化学者志望でした。理由は簡単で、父親が島津製作所の化学者だったからです。化学者がどういうものか、実際のところはよくわかっていなかったと思うんですが、いちばん身近な職業だったので、自然と「化学者になりたい」と思うようになっていました。

高校の化学の先生も、すごくいい先生でした。特に「酵素」について、とても詳しく教えてくれて、それがきっかけで漠然と「酵素について研究したいな」と思うようになりました。そこで、酵素の研究室がある大学を調べて受験し、早稲田大学に受かったんです。

ただ、入学してきちんと勉強し始めて、化学がどういうものかがやっとわかってきたんですね。そうしたら、いろいろ調べて入ったはずなのに「研究したいのは酵素じゃない」ということに気づきました。私は、実際にものをつくるような化学がやりたかった。そういうのって、勉強してみないと意外とわからないものなんですね。それで結局、プラスチックや樹脂、接着剤などをつくる「高分子化学」の研究室に入ることになりました。

グリーンケミストリーに出会った大学院時代

西村勇哉 その後、大学院に進まれたんですね。

齋藤敬 もともと、自分の好きなことだけをずっとやっていたいという思いが強かったので、博士まで進もうということは大学に入ったときから決めていました。企業に入ったら、化学はできるかもしれないけれど、研究テーマを自由に決められるわけではない。ちゃんと自分の研究テーマを立てたかったので、大学院に進みました。

そこで非常にお世話になった指導教授がいます。その方を通じて、当時流行り始めていたグリーンケミストリーを知り、研究に関わることになりました。グリーンケミストリーは、簡単にいえば、本当に環境にいいものをつくったり、環境を良くするために化学を使っていこうという学問です。僕が大学院生だった当時は、グリーンケミストリーが日本に入ってきてまだ数年で、世界でもやっと第1回目の国際会議が開かれるというタイミングでした。ちなみに第1回目の国際会議は日本で開催されているんです。やっと世界で広がってきて、日本で国際会議が開かれるというタイミングで、僕は大学院生で、運良くグリーンケミストリーの研究に関わることができました。

グリーンケミストリーの基本は「元素をうまく循環させていく」こと

西村勇哉 かなり新しい学問なんですね。既存の化学との違いは何なのでしょうか。

齋藤敬 一般的には、化学と環境問題は矛盾したものだと思われているかもしれません。でも、実はまったく矛盾していないんです。なぜなら、すべてのものは化学物質でできているからです。食べ物だってすべて化学物質ですし、我々の体だって全部、化学物質でできています。そういう意味では、環境に良い何かをつくるときも、環境に良い何かをするときにも、化学知識は絶対に必要なものなんですね。

例えば「グリーンケミストリーの12箇条」というのがあって、そのひとつに「アトムエコノミー」という考え方があります。今言ったように、すべてのものは化学物質でできているので、グリーンケミストリーの研究者は、まず、そこにどんな元素がどれだけ含まれているのかを見ます。炭素、水素、窒素が何個入っていて、それがどれぐらい材料に組み込まれているのか。ようするに原料について考えていくんです。

赤や白や黒のブロックを100個買い、そのうちの50個を組み合わせて何かをつくったとしますよね。でも残りの50個は使わないでゴミになってしまったとしたら、グリーンケミストリーではダメなんです。最初から、この色とこの色とこの色のレゴが全部で30個必要とわかっていれば、それだけを買ってつくればいいので無駄がない。これがグリーンケミストリーの「アトムエコノミー」という考え方です。

でも、30個のレゴで無駄が出ないように何かをつくっても、出発物質に戻らなければ、結局ゴミになって使えなくなってしまう。だから、原料や出発物質からデザインしていって最低限の方法で新しい素材をつくり、さらにそれを、きれいに元(出発物質)に戻すところまでをグリーンケミストリーでは考えています。つまり、化学によって無駄のないレゴのパーツの組み替え方や組み立て方を研究し、元素をうまく循環させていくことがグリーンケミストリーの基本にはあるんです。

グリーンケミストリーの12箇条

齋藤敬 生分解性プラスチックという土に還るプラスチックがありますよね。それにも、グリーンケミストリーは問題を提議しています。生分解性プラスチックと言われたら、消費者は環境にいいものだと思いますよね。そして、環境にいいと思ってそれを買う。でも、実際にそれがどういうふうにつくられているのかは、ほとんどの消費者は知らないし、わからないんです。

じつは生分解性プラスチックには、製造工程で石油を山ほど使ってつくられていたものがたくさんあります。だから、本当に環境にいいのかどうかという議論は、当時、グリーンケミストリーの研究者の間ではよくされていました。僕自身、もともと環境問題には関心があって、ネパールに行って植林のワークショップに参加していました。だからその議論を聞いていて、環境問題を考えるうえでとても大切な視点だなと思ったんです。そして、グリーンケミストリーをもっとちゃんと勉強したいと思い、博士の学位を取得したあと、アメリカのマサチューセッツ大学のグリーンケミストリー研究所に行きました。

マサチューセッツ大学ではポスドクとして、グリーンケミストリー創始者のジョン・ワーナー氏の元で学んだ

西村勇哉 そこで、グリーンケミストリーの創始者、ジョン・ワーナー先生から学んでいたと伺いました。そのときに感じたグリーンケミストリーの面白味ってなんだったのでしょうか。

齋藤敬 環境問題には昔から興味がありましたし、グリーンケミストリー自体にはアメリカに行く前から惹かれていたので、行ったあとでグリーンケミストリーにより惹かれたということはないですね。

ただ、ジョン先生は創始者で、講演のために世界中を飛び回っていたので、とても忙しかったんです。そうすると研究がほとんど見られないので、代わりに見てくれる人が必要になって、僕をポスドクとして採用してくれたところがありました。そのおかげで、ジョン先生の代わりに学生の面倒をずっと見られて、研究の最前線にも触れることができた。その意味で、とても運が良かったと思います。

30歳で自分の研究室をもつ

モナッシュ大学時代

西村勇哉 そこから、なぜオーストラリアの大学に移られたのでしょうか。

齋藤敬 ジョン先生が自分の研究所をもつことになり、大学を辞めることが決まったんです。学生はたくさんいましたけど、ポスドクは、当時は僕ともうひとりしかいませんでした。そうしたらジョン先生が「グリーンケミストリーは始まったばかりの学問で、アカデミアの世界で専門に研究している人はまだいない。推薦するから、ケイがやってみたらどうだ?」と言ってくれたんです。もうひとりのポスドクは、ジョン先生について研究所に行くことが決まっていたので、僕しかいなかったというのもあるかもしれませんけどね。

僕も日本に帰ろうかなとか、いろいろ考えてはいたんです。早稲田大学の恩師からも「戻ってきたら」と言われていました。でもせっかくそう言ってもらったし、ダメだったら戻ればいいやと思って、いろいろな大学に応募してみたんです。そして採用が決まったのが、オーストラリアのメルボルンにあるモナッシュ大学でした。そこがグリーンケミストリー研究所を開いているということで、グリーンケミストリーを教えられる教員を探していたんです。僕はそれまで、オーストラリアなんて一度も行ったことがなかったんですが、当時はグリーンケミストリーを教えられる人が数えられるぐらいしかいなかったので、採用されたんだと思います。

西村勇哉 僕もオーストラリアには行ったことがないので想像なんですが、なんとなく自然が豊かなイメージがあります。そうすると、環境に対する考え方も日本やアメリカとは違っていて、モナッシュ大学に集まってくる学生はみんな、何かしらの高い目的意識があるのではないのかなと思ったのですが。

齋藤敬 意識の高さは多少あると思いますが、日本にも「もったいない文化」などがありますよね。そういう意味では、日本のほうが意識はもっと高い気がします。エコバッグはオーストラリアが早かったですが、リサイクルなんかは、その頃は全然やっていなかったんですよね。リサイクルで回収したものをほとんど中国に送っていて、それが後々、問題になっていました。そういう意味では、そこまで意識が高いわけではなかったと思います。

つまり、グリーンケミストリーという観点では、別にオーストラリアじゃなくても良かった。ただ、研究者として成長するという点では、オーストラリアに行ったことは、すごく良かったと思っています。

西村勇哉 それは何が良かったんですか?

齋藤敬 オーストラリアは国自体が新しくて、大学の歴史もまだ50〜60年ぐらいしかない。だから新しい仕組みをどんどん取り入れているんです。例えば、運営するのは経営のプロです。経営者がいて、彼らが経営戦略を考える。ITも事務もプロフェッショナルを雇います。

さらに、教育のプロフェッショナルもたくさん雇われているんですよ。僕らはその人たちに、最先端の教育や授業のやり方について教わります。その講習には出ないといけないし、採点もされる。でも逆に言うと、そういう決められたことさえやっておけばいい。だからモナッシュ大学にいた15年間は、教育と研究だけに集中できたとてもいい時期だったと思います。

僕は今年で46歳なんですけど、日本の同年代の先生に話を聞くと、僕は恵まれていたなと正直思いますね。僕は早稲田大学で1年、海外で2年半ポスドクをやって、3年半で自分の研究室をもつことができました。もちろん、その分の苦労はあります。だけど、若くしてたくさんの経験ができて、教育と研究だけに集中できたのは、代えがたい経験だったと思っています。

西村勇哉 それなのに、なんで京大に来たんだろう、みたいな。

齋藤敬 よく言われます。特に海外から見ると、モナッシュ大学のほうが京大よりランクが上なので「なんでモナッシュから京大に行ったんだ?」と。

西村勇哉 モナッシュ大学にはもう自分の研究室があるし、研究テーマを大きく変えたかったわけではないですよね。

齋藤敬 いや、テーマは変えるつもりで来ていますよ。化学者として、今までと同じことをやり続けるんだったら、間違いなくモナッシュ大学のほうがいい環境でした。環境的には、やっぱり海外の大学はとてもいいんです。だから、僕みたいに出戻りする人間は相当変わっていて「なぜ?」とよく言われます。

文系と理系が手を組める土壌をつくりたかった

水中ドローンでの海洋プラスチックの観測風景

西村勇哉 それでも、京大に移ってこられた理由を伺ってもいいでしょうか。

齋藤敬 僕はグリーンケミストリーに惚れこんで研究し続けてきたんですけど、サーキュラーエコノミーを考えるには、それだけじゃダメだったんですよね。

30個ピッタリの原料を用意して、どれだけ無駄がなくていいものをつくっても、それが全然売れなかったら結局はゴミと同じです。だから、つくったものがどう世の中に流れていくのか、どのようにリサイクルされるのか、その間にどれだけのエネルギーが使われるのかまでを考えないといけなかったんです。そういう意味で、ただグリーンケミストリーでものづくりだけをやっていても、環境問題は解決できそうにない。20年近く研究をやってきて、僕はその壁にぶち当たっていました。

モナッシュ大学では化学者として、環境に良いプラスチックをつくる、環境にいいものづくりをするという点では成果を上げていました。それでもやっぱり、やればやるほどその疑問が出てきました。結局、僕がどんなにいいと思ってつくったものでも、企業は使ってくれません。その理由は、お金がかかるとか原料を取り出すのが大変だからとか、そういうことなんですよね。

確かに、自然界にあるものから何かをつくり出すためには、そこから必要なピース(元素や分子)を取り出して、もう一度組み立て直さないといけないので、簡単なようで難しいんです。しかも、膨大なエネルギーが必要になります。つまり、植物から何かをつくることも、トータルのエネルギーで見たらあまり環境によくなかったりする。「植物からこういうものをつくりました」というと聞こえがいいし、いい論文にはなります。でも、それが本当に環境に良くて、企業がすぐに使えるかというとそういうわけではない。そのジレンマがずっとありました。

西村勇哉 ライフサイクルの考え方として、すごく狭い範囲ではOKなことも、広い範囲で見ればむしろ負荷が大きくなるということは、往々にしてありますよね。サーキュラーエコノミーにしても「いいこと」は、見方次第でだいぶ変わってしまう。

齋藤敬 そうなんですよね。それでいろいろ悩んでいたときに、京都大学の総合生存学館のことを知ったんです。そして、社会の問題を解決するためにはひとつの学問を学んでいるだけではダメだとする理念に惹かれました。つまり、いろいろな知識を入れていかないと大きな問題は解決できない。

特に環境問題はそうだと思っています。化学者はものをつくることにフォーカスしていて、それがつくられたあとにどうなっていくのかには興味がない。一方、環境問題に取り組んでいる方は、環境問題を解決しようと頑張っているけれども、そもそもプラスチックがどうやってつくられているのかはよく知らない。

例えば僕は、植物から生分解性プラスチックをつくっていました。そして研究者の僕が発表すると、みなさん「植物からプラスチックをつくるのって環境にいいことなんだな」と無条件に思うわけです。「本当にそれって環境にいいんですか?」って質問されたことは一度もないんです。

西村勇哉 なるほど。

齋藤敬 だけど、つくっている僕は疑問に思っていました。「これをトータルで見たら本当に環境にいいのか?」と。

平川友紀 そもそも、環境にいいという定義はすごく難しいですよね。

齋藤敬 そうなんです。そこはみなさんも感じ始めていると思います。最近だと海洋プラスチックの問題がありますけど、あれもまだイメージ先行なところがあります。もちろん、ゴミを減らしましょうと動くことは良いことだと思います。とても大切だし、必要なことです。ただ、化学によって解決できることもあるはずなのに、今は、化学とは手を組まないわけですよね。だから、文系の人に化学の知識をもってもらい、手を組める土壌をつくりたかった。化学と環境問題、ちゃんと両方のことがわかっている人材を育てたいと思い、京都大学に移ってきたんです。

新しい材料をつくっても、今の社会では使われない

京都大学・総合生存学館の研究会のメンバーと

西村勇哉 つくるだけじゃなくて、社会にどう伝えていくのかという点で、文系の人たちにもグリーンケミストリーを学んでもらう意義を感じられたということですよね。そして、京都大学の総合生存学館に可能性を見出して、日本に戻って来られたと。

齋藤敬 それに尽きますね。若い頃だったら、僕はそんなことは気にせず、化学の研究に邁進していたかもしれません。でもこの歳になると、あと20年しか研究できないわけだし、子どもがふたり産まれたこともあって、未来のことを考えたりするようになりました。

このまま化学だけをやって新しい材料を毎年のようにつくったところで、それが環境に本当に良いかはまだわからない、そのために今の社会ではなかなか使われないんです。

僕自身は化学者として研究し続け、20年後にそれが受け入れられるような社会になった頃に、若い人たちに引き継いでも問題なかったかもしれません。でも、僕自身が環境問題に関心があるし、化学者としては比較的柔軟なほうだとも思っているので、総合的に環境問題に対応していくことをやっていきたいと思いました。

そしてそれは、モナッシュ大学ではできませんでした。求められていることが違いますし、さっきも言ったように、良くも悪くもシステマティックなので、毎年、論文を何本出さなきゃいけないとか、インパクトファクターの合計点がどのぐらいなきゃいけないとか、研究資金をどれぐらい引っ張ってこないといけないとか、非常に厳しく審査されるんです。そのシステムがあるために世界トップレベルの大学でいられるのでしょうけれど、それをクリアしていこうと思ったら他のことはやっていられないんですよね。

京大の総合生存学館には、他のことができる環境があった。まだ着任して2年弱なので、これからどういうふうに関わっていけるのかは現時点では未知数ですけど、ぜひいろいろな視野をもった学生を育てていきたいと思っています。

強制的に異分野を学べる仕組みがあるのがおもしろい

浜辺でゴミ拾いも

西村勇哉 総合生存学館のWebサイトを拝見したら、文系の人もウェルカムで、最初から全部教えるし、どんどん来てくださいというメッセージを感じました。2年間、総合生存学館にいらっしゃって、手応えはありますか?

齋藤敬 まだまだ難しいなとは感じています。化学の知識が一切ない人に教えるのって、やっぱりハードルが高いんです。文系の人って、元素記号が出てくるだけでアウトなんですよね。だから、元素記号を出さなくても化学がわかってもらえる教え方を考えながらやっています。

授業を受けた学生の大半は「おもしろかった」とか「よく理解できた」と言ってくれます。でも、かなり簡単にして教えたつもりでも「難しかった」という学生もいて。話を聞くと「なるほど」と思うところもあって、僕自身もすごく勉強になっていますね。

平川友紀 文系の学生は、どれくらいの割合でいるんですか?

齋藤敬 僕の授業を受けるのは文系の学生しかいないです。総合生存学館ってすごくおもしろくて、それまでの自分の専攻以外の授業を取らないと単位として認定してくれないんです。だからそれまで化学を学んできた学生は、僕の授業はとりません。つまり、強制的に異分野を学ぶ仕組みをつくっているということなんですね。強制的じゃないとなかなか苦手と感じているものを積極的にとろうとはしないじゃないですか。だから、総合生存学館の仕組みはとてもいいなと思っています。

平川友紀 わざわざ戻ってこられたということは、こういう仕組みは海外の大学にはないということでしょうか? 

齋藤敬 そうですね。海外は、学際研究や文理融合ということなら、とても盛んです。そもそも共同研究が基本なので、一緒に何かをやるという文化はあります。ただ、教育機関として総合生存学館のような仕組みをつくったという話は、少なくとも僕は聞いたことがありません。だから、これはすごい仕組みだなと思ったんですよね。分野横断型で、しかも全寮制。

海外は寮自体が主流なので、ただ当たり前というだけなのかもしれませんが、人材育成の観点から、全員が同じ寮に住まなきゃいけないという仕組みも初めて聞きましたね。それだけ京都大学は先進的で、頑張っているということだと思います。

新しい生活スタイルに合った科学技術を今から考えておく

平川友紀 私は文系の人間で、それこそ元素なんて聞くと拒否反応が出るぐらい化学が苦手なんです。一方で、山間部に住んでいるので環境問題はとても身近なんですね。そして、環境問題を突き詰めていくと化学の視点が必要だなと思う瞬間は、確かにあるんです。これまで、グリーンケミストリーという学問があることを知らなかったので、お話を聞いてすごく感動しました。たぶん同じように感じて、それなら興味がもてるという文系の人はいるのではないかなと思います。

齋藤敬 文系と理系の違いでいうと、化学のような実験系の学問ってひたすら毎日、実験していればいいわけで、博士をとるのにある程度筋道があるんですね。失敗してもそれは大事なデータなので問題ない。やればやるほど研究が進むから、寝る暇も惜しんで実験する。で、気がついたら博士課程の5年が経っているわけです。

でも、社会学とか哲学とか心理学とか、そういう文系の学問は、自分と向き合う学問なんですよね。未知の領域で自分と向き合うとなると、やっぱりすごく大変そうです。モチベーションを5年間維持させなきゃいけないわけですし、そこは大きな違いだなと。

西村勇哉僕 は15年を経て、2022年から博士課程に入ったんです。修士が終わって15年間、何をやろうかなとずっと考えていて、ようやく「このテーマじゃないか」みたいなことが見えてきて、阪大に戻るんですけど。おっしゃっているように、文系って「何をやろうかな」という時間がすごく長いんです。僕の場合は、15年もかかったわけですからね。

齋藤敬 そうなんですよね。僕が総合生存学館にきて一番おもしろいなと感じているのは、やっぱり文系の人は、西村さんの話のとおり、半年くらい本当に考えているんですよね。半年考えて「今こんな感じです」という発表を聞くわけです。僕は、文系の学生に教えるのが初めてだったので「ん?データは?」と思っちゃうわけです。「それでどうやって論文書けるの?」みたいな。

西村勇哉 痛いほど気持ちはわかります。「それはちょっと今から考えます」となってしまうので。

齋藤敬 「データは?」と聞くと「来年からデータ集めます」と。「まだ集めていないんだ」みたいな(笑)。

西村勇哉 耳が痛くて仕方がない。

齋藤敬 ちょっとおもしろいですよ。やっぱり畑が違えば全然違う。だから、本当に文理融合や学際研究って大変だと思います。今、総合知というキーワードを国も掲げていますよね。それは、学際融合という意味で使っているのでしょうけれど、本当に総合知を極めようと思ったら、既存の仕組みでは到底無理ですね。総合生存学館は、今までの仕組みに比べたらかなり尖っています。それでも、本気でやるならまだ足りない。もっと尖っていかないと、本当の意味で総合知を極めるのは、なかなか難しいだろうなと思います。

西村勇哉 そこを突破しないと、世の中は変わらないんじゃないかということは思いますね。

齋藤敬 そうですね。変な話、今のまま生きていくんだったら変わらなくていいんですよ。2030年ぐらいまでは、今のままでもたぶんやっていけます。政府の方針も2030年までは既存の技術をより良くするということでやっていく流れになっています。

ただ、2050年までに二酸化炭素排出量をゼロにしようと考えているのなら、今までのやり方では絶対無理なんです。ちょっと環境を良くしたところで全然間に合わない。完全なるシフトが必要で、生活スタイル自体を変えざるを得ないんですよね。だけど、この議論はなかなかされていきませんよね。当然、経済界もしたくないでしょうし。それでも、科学技術の開発は時間がかかるので、新しい生活スタイルに合った科学技術は、今から考えておかないといけないんです。

若い人たちの力が発揮できる仕組みづくりを

西村勇哉 そういう意味では、5年後、10年後ぐらいに学生の中からどんどんおもしろいことをやり始める研究者であったり企業人が増えていくと、スピードが上がっていくのかもしれませんね。

齋藤敬 そう思いますね。僕がいくら企業に「こう変えて」と言っても変わらないので。

西村勇哉 中にどんどん入っていってもらう。

齋藤敬 そうですね。46歳の僕でも学生と話していたら、もう考えが古いなと思います。だから僕は、彼らが30代になる頃に良い方向に世の中を変えていける下地づくりができればいいのかなと思っていますね。若い人たちを早く上に上げて、力が発揮できるような仕組みづくりを今から考えていく。

なぜそう思うかというと、僕自身が30歳で研究室をもったことが、非常にいい経験になっているからです。それに、だからこそ今この歳で「違うことをしよう」という意欲も、もてているのだと思います。これが60歳だったら、そこから新しいことをやろうと思ったかどうか。だから、早いうちに若者が力を発揮できる場所にいられるようにしていきたいなと、すごく思っています。

本当の意味で有効な環境の指標づくりに取り組みたい

京都大学にて

西村勇哉 そうしたことも踏まえて、齋藤先生が教育とは別に、研究者として「こういう分野を担っていきたい」と思われていることはありますか。

齋藤敬 やっぱり僕は、環境問題やプラスチック問題にすごく興味があります。だから、何が環境に良くて何が環境に悪いのかを突き詰めたいというのが、次の研究テーマですね。新しい材料のつくり方は今までもやっていましたけれど、処理の方法、流通や経済、全体のエネルギーなどをトータルで見て、どれが本当に環境にいいものなのか、あるいは悪いものなのかをちゃんと見極めたい。今は「ライフサイクルアセスメント(LCA)」という指標が使われていますけど、あれも万能ではないので、本当の意味で有効な指標づくりに挑戦したいと思っています。今までやってきた研究も進めていきますが、今までやってきたことだけを繰り返すつもりもありませんね。

例えばプラスチックは、リサイクルをしたほうがいいのか悪いのかという議論がずっとされていますよね。日本ではサーマルリサイクルといってほとんどを燃やしているんです。それがいいのか悪いのかでいうと、総合的に見たらそんなに悪くはないんですよね。だけど、グリーンケミストリーの考え方でいうと、元素が循環しておらず、元に戻っていない。

ペットボトルは唯一、ちゃんとデザインされているプラスチックで、切りやすい結合でできています。壊れやすいので、リサイクルもまだ可能なんです。でもビニール袋やポリエチレンという、世の中でみなさんが一番触っているであろう、硬いものに使われるプラスチックは、それをきれいに元に戻そうとすると、ものすごくエネルギーがかかるんですね。だったら燃やしたほうがいい、ということになる。もしくは、最初からポリエチレンを使わないのが正解なのかという議論も出てくるんですけど、やっぱりポリエチレンにはポリエチレンのすばらしい特性があるんですよね。

いったいどれが最適なのかは、本当に難しい問題なんです。今の生き方を続けたままプラスチックをゼロにしようと考えるなら、プラスチックを何かに置き換えないといけなくなります。そうしたら、今の技術なら紙か鉄かアルミ、要するに、金属か紙しか代替素材はありません。でも、紙袋とプラスチックバッグのどちらが環境にいいのかといったら、これはすごく難しい問題になります。おそらく、総合的に見たら紙袋のほうが環境に悪い事例は多いんじゃないかと思います。

飲み物の容器を全部金属に戻したり、パソコンに使われているプラスチックを全部金属に変えたら環境にいいかというとそれも違います。車は、素材を全部プラスチックにしたから燃費がめちゃくちゃ良くなりました。それをまた金属に戻したら、燃費がものすごく悪くなってしまいます。このように、どれが環境にいいのか悪いのかという議論は常にあるんです。だけどそれを議論して、なおかつ答えを出すところまでは、まだあまりされていないように思いますね。

平川友紀 化学の視点からそういう話を聞くと、本当に勉強になりますね。紙袋かビニール袋かと言われたときに、ビニール袋より紙袋のほうが環境に悪いという発想は正直ありませんでした。そういう意味でも、異分野がつながっていくことの大切さを感じます。

齋藤敬 そうですね。紙袋とプラスチックバッグも、どの視点で見るかによっては全然違ってきます。そこが難しいんですよね。資源という視点で見たら紙袋のほうが当然いいわけです。だけど、エネルギーの視点で見たらプラスチックのほうが良い場合もある。どの視点で見るかが非常に難しくて、イエスかノーではないからみんなが困っているんですよね。それでも、どちらが良いかを決めようとすると、比べられる形にしないといけない、つまり数値化せざるを得ない。だから、どういう形になるのかはまだわからないですが、どういう面では環境に良くて、どういう面では環境に悪いのかっていうことが、視覚的にわかる指標づくりをしたいと思っています。

でもこれは、本当に大きなチャレンジです。僕ひとりの力ではできなくて、それこそ総合知が必要なものだと思っています。総合生存学館には、経済やESG、情報学が専門の先生方はいらっしゃいますが、エネルギーの専門家はいないので、京大のエネルギー科学研究科の先生などともコラボしながら、大きな枠組みでつくっていきたいと考えています。それと、サーキュラーマテリアルというコンソーシアムを立ち上げて、企業の方々とも議論ができる場もつくりました。

西村勇哉 紙袋かプラスチックバッグかみたいな話は、むしろ文系はすごく好きな話のような気もしました。「そうなんだ」ということがわかれば「じゃあちょっと考えるか」という気持ちになるというか。でも、最初の「そうなんだ」の部分が化学の知識がないとわからない。「そうなんだ」という出発点に化学の知識で連れていってもらえると、そこから先の「じゃあどうしよう」みたいなところは、文系は一生懸命考えるなと思いました。コンソーシアムも同じで、地球温暖化をどうにかしたいということは、企業も思っているんですよね。だけど、どう出発していいのかがわからないから、コンソーシアムによって出発点をつくってあげるということなのかなと思います。

どう進むべきか迷っている人は、ぜひ総合生存学館へ

西村勇哉 最後に、これから総合生存学館に来て学んでほしい学生はどういう人たちなのかを伺いたいです。

齋藤敬 今までの大学は、学部で学んだこと以外を大学院で学ぶことがなかなかできなかったのではないかと思います。そういう意味では、いろいろなことに興味があるのに勉強できなかった、専門外は無理だと諦めていた学生には、ぜひ来てもらいたいです。あとは「こういうことをやりたいけど、どうやっていいのかよくわからない」と悩んでいる学生にもぜひ来てもらいたいですね。本当に社会のためになりたいとか課題を解決したいという意欲があれば、どう進むべきかを迷っても諦めないで、まずは総合生存学館の扉を叩いてもらえればと思います。

西村勇哉 誰もやっていないところをやりたい人ほど一度来てみたらということですね。

齋藤敬 はい。環境問題に限らず、どんなテーマであってもいいんですけど、僕は当然、化学で地球を救いたいという人は大歓迎です!

この記事は、株式会社エッセンスの協力を得て製作しています。
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常に環境問題や気候変動の影響をダイレクトに受ける山間部で、なるべく環境負荷の少ない暮らしを心がけている私にとって、化学というのは、その言葉だけで反射的に避けてきたものだったように思います。しかし実際には化学がなんであるのかを知らず、なんとなくもっていたイメージだけで決めつけていたことに、今回気づかされました。思わず取材時には、文系の学生よろしく、基本的なことを前のめりに質問しまくってしまいました。
文系の人間もワクワクしてしまう化学。だからこそグリーンケミストリーは、この先どうなっていくのかわからない環境問題を解決する、とても大きな希望に思えました。さまざまな人々が、分野を横断し、手と手を取り合ってよりよい社会を構築する、そんな未来はすぐそこまできています。

今後も産学連携情報プラットフォーム Philo-では、アカデミアの新たな取り組みや、企業活動を捉え直すきっかけを発信していきたいと思っております。今後もご注目ください。
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